“欠食児童・飽食の時代” ・・・この2つの言葉は今では死語に近くなっています
「欠食児童」とは、小学校にお弁当を持ってこられない子どもや三度の食事を満足に取れない子どもを指します。昭和恐慌期や戦後の食料難の時代には、全国で見られた現象でしたが、日本が豊かになり給食制度が始まると、その姿は消えていきました。
一方、1960年代の高度成長期を経て、日本社会が発展すると、食料が満ち溢れた時代、いわゆる「飽食の時代」になります。 こうした「欠食児童」と「飽食の時代」を経て、現在は、どのような時代状況を迎えているのでしょうか。
実は「欠食児童」はまだ続いているのです。子どもの相対的貧困率(世帯所得の中央値の50%を下回る世帯の子どもの割合)は、1990年代半ば頃からおおむね上昇傾向にあり、2015年には13.9%となっています。つまり子ども7人に1人が貧困ということです。この結果、家庭では満足な食事ができない子どもが数多く存在し、夏休みが終わって登校すると、体重が減少している子どもがいるという現象にもなっています。
さらに満足に食事がとれない人は、子どもだけに限らず収入が低い高齢者や働けない人たちにも及んでいます。豊かな日本の陰で、貧困に苦しんで日々の食事にも事欠いている人たちは思いのほかいるということです。
一方「飽食の時代」はどうでしょうか。日本で出回っている食料は、2013年度の推計で約8,300万トンといわれていて、そのうち約2,800万トンが廃棄されています。さらに廃棄されている約2,800万トンうち、約630万トン(22.5%)は食べることが可能とされています。630万トンという数値は、世界全体の食料援助量の2倍となり、国民1人あたり1日茶碗一杯分に相当します。(http://www.maff.go.jp/j/shokusan/recycle/syoku_loss/pdf/lossgen.pdf)
食品関連会社では規格外商品や製品の汚損・破損、スーパー等の小売業では賞味期限切れや売れ残り、各家庭では食べ残しや不要となった等の理由によります。また、食品流通業界で生ずるフードロスは、3分の1ルールによるところが大きいと云われています。
現在農水省が中心となって、これら「食品ロス」削減に向けて各種体制を構築しつつありますが、まだ十分であるとはいえません。
「欠食児童」と「飽食の時代」。言葉は死んでも状況は継続しています。
しかも「飽食の時代」という食料が満ち足りている社会と、「欠食児童」という食料が足りない社会が隣り合わせに併存しているのが現実なのです。
リンク
・品廃棄量が世界でもトップクラスの日本(Health Press) http://healthpress.jp/2015/03/post-1646.html ・食料のムダをなくすために(SAPジャパン) http://www.sapjp.com/blog/archives/11689